2005年06月30日

以和為貴

競争社会という言葉が使われ始めたのはいつ頃のことでしょうか。最近は身近なところで「競争」を強いられる事が確かに増えてきました。
会社の人事制度も社員間の競争をあおるようなものに変わってきました。上司も部内メンバー間の競争をあおるような発言をします。また部門間の関係がギスギスしているのもよく見かけます。部門間どころか部門内で社員同士がギスギスした関係にあることも多い。大抵は責任の追求・なすりあいです。個人個人で見ると良い人もたくさんいるのですが、組織で見ると「よくもまあこれで仕事になっているものだ」と思うほどです。メンタルな部分でまいってしまい、休職する人もたくさんいます。かく言う私もメンタルな部分はかなり疲れてしまっています。またメンタルな部分ばかりでなく身体的にも疲れはたまっているようで、最近は業務上の事故も増えています。
私が入社した頃、と言ってもたかだか十数年前のことですが、に比べて社会全般から「遊び」がずいぶん減ってしまったように思います。ここで言う「遊び」とは心の余裕の部分のことです。心に余裕が無いから相手の意見を許す・受け入れることができない。以前は日本的だ何だと言われながらも「和」というものを大事にする意識が働いていたように思うのですが、最近はそれが崩壊しつつある。「個人主義」の仮面をかぶった「自分勝手」が「競争」の名の下にまかりとおり始めている。
「こんな状態で社会が長続きするはずがない」と私は思いたいのですが、これから社会はどこへ向かうのでしょう? 「お受験」「早期教育」という形で早くから競争を始めている子供達もいます。これに関しては人それぞれの考え方なので、私には何も意見は有りませんが、やはり競争は白熱化へと向かうのでしょうか。
私の子供が社会に出る頃にはいったいどうなっているのだろうか?と思うと、今見る子供の笑顔をかわいそうに感じることすらあります。「子に美田を残さず」という言葉がありますが、今は残せるものは残しておいてあげたほうが良いのかもしれない、等と考え始めています。
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2005年06月29日

自由と放任

「簡単なおもちゃ」は子供が自由に遊べる、というようなお話をさせていただきました。では「自由」とはなんでしょう。「自由」と「放任」とは違う、という話は子育て中の皆さんであれば、何度も読んだり耳にしたことでしょう。「子供を好き放題にさせて、注意もしない親が多過ぎる」等と。確かにそれはそう思います。病院や駅などで大騒ぎして走り回っている子供を見ると「あの子の親は何をしているんだ」と私も感じます。
ではどうすれば子供を「自由」にさせてあげられるのでしょうか? これはどこかで読んだ話なのですが、「子供を自由にされるということは、できるだけたくさんの選択肢を与えてあげることだ」という意見がありました。100%子供の好きにさせるのではなく、「これとこれとこれはしても良いよ、でもこれはダメ」のようなものでしょうか。
私はこれを読んだ時に「なるほどなあ」と納得したのですが、皆さんはいかがですか?
大人であろうと子供であろうと「自由」には「責任」がついてきます。でも小さい子供はその「自由」と「責任」の関係をこれから学ぶ段階にあります。また責任もとれません(親がその責任をとることになるのですが)。その間は、子供が責任をとれる範囲(失敗してもごめんなさいで済む範囲から)を親が示してやる必要がある。それが子供に選択肢を与えてあげる、ということなのかなと。子供が成長してきて「責任」というものを理解し始めた時に、選択肢を更に拡げてあげて、最後は子供の「責任」にまかせた「自由」を与える。その時「子供」は「大人」になるのでしょう。そうすると「放任」とは親も子供もその「責任」を放棄してしまっている状態でしょうか。
こう書くのは簡単ですが、実際に行なうとなると難しいですね。厳しい親だと「たくさんの選択肢を与える」のではなく、むしろ「選択肢を減らして」しつけようとするでしょう。確かにしつけはしつけで大変大事なことなので、そのバランスが難しい。こう考えると子育てとは何と難しいことか。まさに模索の毎日であります。
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2005年06月28日

目標管理と模索

会社で「目標管理」という言葉を良く耳にします。例えば、目標を決めてその達成度に応じて給与やボーナスの査定をする、のようにです。売上・利益を上げることが企業の目的ですから、この方法が適しているのでしょう。しかし管理される社員としては面白くない方法であります。「いや、目標がある方がやりやすい」という方もいらっしゃるでしょうから、言葉を変えます。私には全く面白くありません。何故かというと私にとって「目標管理」とは「難しいおもちゃ」だからです。私の勤める会社では、目標管理と言いながら多くの場合は目標に至る過程まで決められてしまい管理されます。そこには私の判断の入る余地はほとんどありません。あとはいかにスケジュール通りに、効率的にそれを成し遂げるかだけ。これは面白くない。好きでもないロールプレイングゲームをさせられているようなもの。

さて「模索」という言葉があります。手探りであれこれ探し求めること、という意味です。以前プライベートでどうすれば良いのか全く検討もつかない問題に直面したことがあります。何をすれば?どうすれば?どこへ向かえば?全然分からない状態。それこそあれこれと「模索」しました。苦しいことも多かったけれど、問題を解決した時の達成感も大きかった。途中解決の糸口になる事を見つけた時もうれしかった。今思えば結婚した時、子供が生まれた時も生活が変わって模索の連続でした。
この「模索」を伴うことができれば仕事も「簡単なおもちゃ」になり得るのだろうなあと、それ以来感じるようになりました。でも仕事でそんなことをしていると「あれこれ考える暇があるならさっさとやれ!」となってしまうのでしょうね。

子供達には今のうちにしっかりと「模索」という行為をしておいて欲しい、させてあげたいと考える今日この頃であります。
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2005年06月27日

簡単なおもちゃ、難しいおもちゃ

今は本当にいろんなおもちゃがあります。昔ながらのぬいぐるみや積み木にブロックといった簡単なおもちゃから、「こんな難しいおもちゃ、本当に子供でも遊べるのか?」と思うほどのハイテクおもちゃまで。しかし、最初は親が説明書を見て何とか遊び方が分かるような難しいおもちゃでも、子供はいつの間にか一人ででも遊べるようになっています。子供の吸収力は大したものだと思いますし、おもちゃメーカーさんの努力も大したものだと思います。
でもどうでしょうか? 子供がそのおもちゃに飽きて遊ばなくなるまでの時間を考えた時、簡単なおもちゃの方が長い事が多いと思いませんか? 赤ちゃんの頃から持っていたぬいぐるみをずっと大事にしていたり、あちこちへこんだりしてボロボロになった積み木で突然思い出したかのように遊び始めたり。
これは私の想像ですが、難しいおもちゃというのは、遊び方が決められてしまっていることが多いので、すぐ飽きてしまうのではないでしょうか? それに対して簡単なおもちゃはただそこに有るだけです。子供の遊び方次第で何にでも変身する。例えばうちの子供はぬいぐるみをいくつか並べてお話ごっこで遊ぶことがあります。犬のぬいぐるみが浦島太郎だったりする(笑)。つまり簡単なおもちゃというのは遊ぶ材料を与えているだけなのかなと。ところが難しいおもちゃは遊び方まで与えてしまっているのではないだろうかと。
そう考えると、積み木やブロックは「簡単なおもちゃ」から「難しいおもちゃ(レゴなんてすごいものは本当にすごいですよね)」まで何にでもなれる、優れたおもちゃなのかもしれません。
posted by 共働きのお父さん at 21:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記_2005年 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月26日

スポーツ選手の外国語

卓球の福原愛選手のインタビューがテレビで放映されていました。中国のテレビ局がインタビューしていたようで、やりとりはもちろん中国語。大変流暢な中国語で、中国語学習者の私は、これはチャンスと一生懸命字幕を見ながら言葉を拾って勉強させていただきました。福原選手、あまりに中国語がうますぎて方言まで入ってきたとも聞きます。小さな頃から何度も中国に通っていたとは言え、本当に大したものだと思います。
さて、福原選手に限らず、最近は海外で活躍するスポーツ選手が増えてきました。日本の相撲でも外国人力士の活躍が目立ちます。そういう母国を離れて外国で活躍するスポーツ選手達、ほぼ全員が現地の言葉を流暢に扱ってインタビューに答えています。「まだ一年も経ってないのに、こんなに話せるの?」なんて選手もいますね。
これは聞いた話なのですが、スポーツ選手というのはそもそも外国語をマスターしやすい環境にある、らしいそうです。何故か? もちろん周囲の人たちがみんなその言葉を話すのだから話さざるを得ないということもあるでしょう。ただ、それだけでは無いようです。
そもそも自分がハイレベルでプレイできる競技なのだから、カタカナ外国語かもしれないけれど言葉はある程度知っている、また知らなくても動きと関連付けされる言葉なので覚えやすい。更に例えばインタビューなどで聞かれることはある程度決っているので、それに対する答えを何パターンか持っていれば、最初のうちはそれで何とかなる。日常生活だってそうです。ただ暮らすだけであれば、驚くほど少ない言葉で用が足りてしまう事が多い。つまり、最初に自分の中で必要最小限度のその外国語のパターンを持ってしまう。後はその自分の持っている言葉を核として、新しい言葉を広げていく。こういうプロセスだそうです。もちろんそれだけでは無く、皆さんプロ意識を持って学習もされているのでしょうが。
どうでしょうか、このプロセス。子供が言葉を覚えるプロセスにそっくりだと思いませんか? まず自分の周囲の世界を表現する言葉を覚え、それに新しい言葉が加わって表現力が高まっていく。表現力が高まれば、自分の思いを表すことも簡単になってきて、日常が快適になっていく。赤ちゃんはお腹が空いた時それを泣くことでしか表現できないため親が気付いてくれるまでその欲求は満たされません。ところが「お腹が空いた」と言うことができるようになればその欲求はたちまちに満たされます。更に「〜が食べたい」とまで言えれば、その欲求はより快適に満たされることもあるわけです。
私達が外国語を学習するのに苦労するのは、「その外国語で表現する自分の世界」を持つことがそもそも難しい、というのが理由の一つかもしれませんね。"This is a pen."のような言葉をたくさん覚えても、その言葉でどういう世界を表現したいのか?するのか?が全く見えてこないのですぐに忘れてしまう。そういうことなのかも知れません。
posted by 共働きのお父さん at 15:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記_2005年 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

運動不足だからこそワークアウトできる

実は「エアロビクス」の話題、ひそかに人気があります。私と同じように「運動不足をどうにかしなければいけない」という思いを持つお父さん達がたくさんおられるのかもしれません。では、ちょっとそのお父さんたちの背中を押してみたいと思います。
私ははっきり言って「運動不足」なんてものではなく「運動ゼロ」の日々を送っておりました。仕事は事務屋で通勤は自動車。成人病体質まっしぐらです。
さて、そんな私でも始めてしまえば、今のところ何とかなっています。身体測定のちょっとした運動で筋肉痛。初めてのレッスンではタコ踊り、後半はほとんど意識不明でどう動いていたのか覚えてない。それでも、レッスン中に他人にぶつからないように気をつけてさえいれば、タコ踊りだろうが何だろうが他の人は自分の事なんて見ていませんから、気にしなくても大丈夫。みんなはインストラクターさんや、上手なメンバーさん、自分の姿ぐらいしか見ていないものです。ヒヨコの間は「人目」なんて無いも同然。
最初のうちは「わけも分からず全力疾走」状態です。疲れます。でも気持ち良い。「ワークアウトしたっ!」感覚を全身で感じることができます。
ちょっと慣れてくると、今度は動きを気にし始めて、しっかり動こう、大きく動こう、と意識し始めるので、これまた疲れます。相変わらず「ワークアウトしたっ!」感覚を味わえます。私は今やっとこのあたり。「しっかり動いたなあ」と自分で思えたレッスンの時は、レッスン最後のダウン時に身体が動かなくなります。「ステップタッチ」という基本的な動きがあります。簡単に言えば、左右交互に一歩ずつ踏み込む、という一歩だけの動きなのですが、その一歩が出なくなります。半歩しか出ない。身体を使い切った、「ワーク『アウト』した」感でいっぱいになれます。これがまた気持ち良いのです。
それで、この「気持ち良さ」、きっと運動不足だから手軽に味わえるのだと思います。運動不足のお父さん(お母さんでもよろしいですが)、運動不足の今がチャンスです。運動不足だからこそ、ちょっとした運動で「ワークアウトしたなあ」「気持ち良いなあ」感が味わえます。本当に運動不足だからこそだと思います。

ちなみに私の参加しているクラスはもちろん初心者向けです。上級のメンバーさんなら「軽く汗を流しにきた」程度に参加されるクラスです。でも今しばらくはこのクラスで「気持ち良く」させてもらえそうです。
posted by 共働きのお父さん at 14:51| Comment(0) | TrackBack(0) | おっさんエアロ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

継続は力なり

本家サイトの「今行っていること」のページに書きましたが、子供がスイミングスクールでステップアップを果たしました。よくやった我が子よ。全然期待していなかったので、感激も一際です。
さて、お父さんのエアロビクスですが、今日スタジオに入るとスタッフさんから「良く続いていらっしゃいますねえ。いいですよ〜」とお褒めの言葉(?)をいただきました。いや、あの、まだ一桁回数しか続いてないのですが、みんなそんなに続かないのかなあ?
それでレッスン後、「遠くから見てると、かなり上手に出来ているように見えますよ」とほめられているのだか何だかよく分からないお言葉。まあ上手くなってきたのだろう、と受け止めて自分を励まします。
子供も約半年頑張ってステップアップしたことですし、お父さんもその面子にかけて負けてはいられません。「継続は力なり」、「継続する凡は非凡となる」を信じてワークアウト続けます。
posted by 共働きのお父さん at 14:09| Comment(0) | TrackBack(0) | おっさんエアロ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月25日

テレビの力でツバルを救えるか?

太平洋の小国にツバルという国があります。この国は平均標高が約1.5mで、地球温暖化が進み海水面が上昇すれば水没してしまう、と言われ注目されている国です。
一方、この国はインターネットの国識別コードが「.tv」である、と言うことで有名な国でもあります。ツバルは英語で表記するとTuvalu。日本(Japan)の国識別コードが「.jp」となるのと同じ理屈ですね。
この.tvドメイン、テレビ局やインターネットのストリーミング(荒っぽく言えば動画、ネットテレビ)サイト等に人気があるようで、実際にツバルはこのドメインによって得た収入で国のインフラ整備などを行っているほどのようです。
さて、このまま地球温暖化が進みツバルが本当に水没してしまい、国家が無くなってしまったと仮定してみましょう。国家が無くなってしまうのですから、インターネットの国識別コード「.tv」も基本的には無くなってしまうはずです。さて、そこで困るのは.tvドメインを取得したテレビ局等。プレミアがついて年間使用料が1000万円を超えるような.tvのドメイン名まであるそうですから。
さて、.テレビの力はツバルを、.tvドメインを救うことができるでしょうか? いや救おうとするでしょうか?

象徴的な話としてツバルがよく取り上げられますが、実際にツバルが水没するほど海面が上昇すると、他の国も大きな被害を受けるそうです。日本も他人事ではありません。
posted by 共働きのお父さん at 23:53| Comment(2) | TrackBack(1) | 日記_2005年 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「チーム・マイナス6%」に参加しました

「チーム・マイナス6%」のメンバーになりました。これは地球温暖化の原因となっている二酸化炭素、CO2の排出量を一人一人が行動を変えて行くことで削減しよう、というものです。COP3という会議で採択された京都議定書で先進各国の削減量が定められました。日本の削減目標は6%(1990年の排出量に比べて)なわけです。
私の子供に、私達に続く世代のために、何を残してあげられるのか、まずできるところから始めていこう、という自分への動機付けのために参加しました。毎度のことながら私は「やるぞっ!」と意気込んで取り組むと失速してしまう(笑)タイプなので、無理せず気楽にできるところから、です。
今のままの生活を続けていくと、おそらく私達の子供が私達の年齢を超えるようになるころには、何かがきっと破綻しているだろうなあ、という思いは以前からずっと持っていました。また、正直言うと「子供と一緒に宮古島のサンゴ礁でダイビングしたい」という自分の欲望を果たすために、自然環境を守りたいというエゴイスティックな面もあります。むしろ自分のエゴ中心で参加してしまっているかもです。まあでも結果が良いならいいじゃないですか。

私の勤める会社でもクールビズ活動が始まっています。通常勤務中はノーネクタイ、ノー上着です。しかしまだ上着を脱がずに「部屋が暑い」と空調温度を下げる人もいて、企業の取り組みとしてはまだまだこれからですね。
地球環境問題は「二酸化炭素の排出量を減らせば良い」というだけのものではありませんが、皆さんもまずは簡単に取り組めるところから始めてみてはいかがでしょうか?
posted by 共働きのお父さん at 14:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記_2005年 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

入力と出力と記憶

パソコンの話ではありません。人間の話です。
人間に入力する。例えば、本を読んだりテレビを見たり、もっと積極的にするなら勉強する、等というのもそうでしょう。子供に何かを教えてあげる、というのは子供に何かを入力しているということになります。
入力したもの・されたものはどうなるか? たいていは忘れ去られてしまいます。また大事なことは忘れてしまうのに、つまらないことは覚えている、なんてこともよくありますね。
人間から出力する。話す・書く・行動する等。勉強するときに問題集を解く、なんてのもこちらに入るような気がします。子供に何かをさせてみせるのは、子供から出力させる、ということになります。
出力を伴う記憶はよく残っていると思いませんか? 反面出力を伴わない記憶は残りにくい。例えば何か勉強しても参考書を読んだだけでは全然頭に入らなくて、問題集を解いて頭に残るようになった、という経験をお持ちの方も多いのではないかと思います。仕事でも進め方を聞いた時は「はあ?」だったのが、自分で処理してみると意外と簡単に手順を覚えてしまい、拍子抜けしたことがある方も多いでしょう。
知識というものが入力・出力を伴って初めて頭の中に記憶されるのだとすれば、やはり子供には「とにかく自分でやらせてみる」ことが大事なのかな、と考えるこの頃です。

それにしても子供の出力は面白いですね。最初のうちはもちろん正しくない出力も多いのだけれども、思いもよらないような出力が出てきて驚かされることも多い。

余談
「つまらないことばかり覚えている」というのは、その覚えていることが起こったときに「なんだつまらない」という出力が心の中で行われているのかもしれませんね。つまらないなりに印象的だから記憶に残る。「感動した文章を覚えている」、と同じ仕組みなのかもしれません。
余談2
ちなみにこの話、科学的根拠は何もありません。単なる私の経験則です。
posted by 共働きのお父さん at 10:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記_2005年 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月23日

アダルトサイト、アダルトビデオの鑑賞

聞いた話です。
ある日、父親が仕事で家に帰るのが遅くなりました。家族はみんな寝てしまっているようです。これはチャンスとばかりにパソコンの電源を入れアダルトサイトを存分に鑑賞していました。

「おとうさん、おつかれさま」

と、突然背中の方から寝ているはずの子供の声。頭の中が真っ白になってしまったそうです。この先は詳しく聞けませんでしたが、結局奥さんにも知られてしまい(ということは子供が話したのでしょうね)、父親の面目丸つぶれ。

心当たりのある方はお気をつけ下さい。
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2005年06月22日

手話でスキューバダイビングと手話の方言

手話についての余談です。
私の趣味の一つにスキューバダイビング(スクーバダイビングだという方もおられますが、ここではこう呼びます)があります。とは言ってもここ数年全然潜っていないブランクダイバーなのですが。
数年前、沖縄県の宮古島へスキューバダイビングに行った時のこと。耳の不自由な皆さんが体験ダイビングをされると、ある日一緒に船に乗って海に出ました。その日は八重干瀬という有名なサンゴ礁に向かい、私達Cカード(スキューバダイビングの認定証)を持っている面々は一般のポイントでダイビング、その合間に浅瀬で体験ダイビングというスケジュール。
浅瀬で体験ダイビングと言っても、そこは宮古島、美しいサンゴ礁と熱帯魚にあたりまえのように囲まれて、皆さん本当に楽しそうでした。その時耳の不自由な皆さんの体験ダイビングを見て感心するやら、納得するやらだったのが、彼ら・彼女らは海の中でも陸の上と同じようにコミュニケーションができるのです。考えるまでもなくあたりまえです。手話ができるのだから。視線さえ合えば陸上も海中も関係無い。これは本当に興味深かった。
私もCカードの講習で必要な手のサインは学習しました。しかしそれは「潜行します」「浮上します」「エアが足りない」等の最低限必要なこと。だから潜水時にガイドさんは子供用のお絵かきボード(レバーを横に引けば書いたものが消せるというよく見かけるやつです。ちなみに「かきかきボード」と呼ばれていました)を片手に魚やサンゴ等海の生き物の説明を書いてくれます。ボディランゲージ等も交えますが、なかなか意思疎通は難しい。

さて陸に上がってから、懇親会をしませんかとのお誘いに一緒に宴会。宮古島のダイビングサービスですが、そこは「おとーり(泡盛の回し飲み)」が無いので、下戸の私でも安心して参加できる。いやアルコールがダメなものにとっては「おとーり」はほとんど拷問であります。本当に。
宴席の自己紹介で自分の名前ぐらいは手話できるようになろうと、ショップに置いてあった手話の本から五十音表で名前を覚えて宴会に参加しました。ところが外国語学習と同じく最初は見事に通じず撃沈。そこで筆談も交えながら手話を少し教えて貰うことになりました。面白かったのが、名前を呼ぶのに五十音表から一文字ずつ文字を拾って呼ばない、ということ。例えば「まこと」という名前だとすると、「まぁ!」と驚くしぐさの後に、琴を弾くしぐさ。これで「まこと」になります。宴会の席だったので皆に楽しんでもらおうと派手な演出をしてくれたのかもしれませんが、宴会に出ているみんなの名前をそんな具合に言いかえてくれました。いずれにしても一文字づつ名前を呼ぶようなことはしない、とのこと。「じゃあ、グループが変わると呼び方も変わるの?」と聞くと「変わることもあるなあ」とのこと。と言うことは、なんと手話にも方言があったのか。
「う〜む、創造力も表現力も、どちらも一枚も二枚も上手だなあ」と、今までにない面白さの宴会でした。あの時のみんなはどうしているのかなあ。
posted by 共働きのお父さん at 20:54| Comment(2) | TrackBack(2) | 日記_2005年 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月21日

手話で歌う

子供と一緒に子供向けバンド(子供から大人まで楽しい、というキャッチフレーズのバンドで、実際大人が観ても楽しめます)のライブビデオを観ていました。今まで何度も観ていたビデオなのですが、今回ふと気付くとバンドのメンバーがある曲で何か手振りをしている。そう手話をしているのです。
音をもって表現するミュージシャンが、耳の不自由な方のために手話をしている。ゆっくりと語りかけるような曲で、ゆっくりと語りかけるような手話。うまく書けないのですが、何かを訴えかけてくる力を感じました。その力が手話自体の持つ表現力なのか、そのミュージシャンの表現力なのかは分からないけれど。
耳の不自由な皆さんはあれを観てどう感じるのだろう?

私もそのライブビデオを観ながら、ほんの少しですが手話を覚えました。「出会う」「たくさん」「友達」「今まで」「これから」程度です(曲名が分かった方がいるかもしれませんね)。自分でも真似して歌いながら手話をしてみると、何かいつもと違う表現ができるような気がします。普段の会話の中でも、少しずつ手話が使えるようになっていけば、表現の幅が広がってくるかもしれません。不謹慎と言われてしまうかもしれませんが、プレゼンテーション等仕事にも応用できるなあとも感じました。
posted by 共働きのお父さん at 22:57| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記_2005年 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月20日

子供からのプレゼント

昨日は父の日でした。すっかり忘れていたというか気にも留めていませんでしたが、子供が「お父さん、ありがとう」とプレゼントを持ってくるのを見てようやく気付きました。「これ、プゼレント」

「それはねプレゼントと言うのだよ」等という正しい日本語(?)教室はこの瞬間には無しです。

「プレゼントありがとう。プレゼントもうれしいけれど、君が元気でいてくれることが一番のプレゼントなのだよ」のような事はうまく口に出せず。気持ちだけ胸の中にしまっておいて、子供の好きな「チョロQごっこ」でお礼です。
posted by 共働きのお父さん at 20:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記_2005年 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月19日

スイミングスクールの友情

前回のスイミングスクールで先生の言うことを全然聞かず、両親からえらく怒られたのが効いたのか、今日はまじめに練習していたようです。
その中で、今まで特に何の関係も無かった子供と同じクラスのお兄ちゃんが急にお友達になって面倒を見てくれるようになったらしい。
うちの子供はいまだにクラスで一番のチビです。だから他のお友達より動作は遅かったり、まだ出来ないこともあったりと、どちらかというと「邪魔だなあ」扱いされることが多いです。そのお兄ちゃんにも以前は後ろから押されたり、順番抜かされたりで、口げんかになったこともあったようです。
ところが今日はそのお兄ちゃんがうちの子供の面倒をいろいろと見てくれるようになったらしい。うちの子供の動きが遅い時は手を引っ張ってくれたり、次にすることを誘導してくれたりと。うちの子供もそれがうれしかったのか、そのお兄ちゃんを待っているような場面もあったとのこと。
でも、そのお兄ちゃんはもうすぐ一つ上のクラスに昇級していくでしょう。うちの子供はいましばらくかかりそう。その時に「お兄ちゃんと一緒に練習したい」が練習の励みになってくれれば良いのだけど。
posted by 共働きのお父さん at 14:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記_2005年 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

笑って楽しくエアロビクス

「今日も笑って楽しくエアロビクスしましょう」 インストラクターさんはレッスンが始まる前に必ずこうおっしゃいます。レッスン中も時々「みんな〜、楽しい顔してますか〜? こわい顔になってませんか〜?」と声をかけてくれます。
すみません。きっと私、こわい顔(こわばった顔かな)になってます。いましばらくお待ち下さいませ。笑ってレッスンできるよう頑張ります。
あとよく言われるのが「息止めないでね〜」 そういう時は確かに息が止まっていたりする。息止めるとエアロビクス(有酸素運動)じゃなくなっちゃいますね。どういう時に息が止まるかというと、新しい動き・複雑な動きを観察している時。これはエアロビクスに限らず、何事かに集中している時は呼吸の数は減ったり止まったりします。
スタッフさんに教えていただいたのですが、男性(私は男性)はどうしても、目で見た動きを頭で理解して、それから自分で動く、というプロセスになってしまうそうです。対して女性は目に入った動きをそのままスムーズに真似して動くことができる。生理的なものかどうかは分かりませんがそういう傾向にあるそうです。
確かに、私は頭で動きを理解しようとしています。だから呼吸も止まる。また理屈で動きを覚えているから、どこかで間違えるとそのまま後の動きもガラガラと音をたてて崩れ去ってしまう。
「いずれは身体が動きを覚えますよ」とのスタッフさんのはげましの言葉を胸に頑張ります。
posted by 共働きのお父さん at 14:18| Comment(0) | TrackBack(0) | おっさんエアロ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

子供の記録は何で残す?

保育園の行事に出かけると、皆さんデジタルカメラやビデオカメラ等をお持ちです。かく言う私もカメラを持って出かけます。まだフィルムのカメラですが。「どうせ撮るばかりで後で見ることなんてほとんど無いよ」等と言われても、つい記録しておきたくなるのは親の性というものでしょうか。
ところで先日友人と記録メディアの話となりました。その友人はVHSビデオが世間に出始めた頃から使っていたというパワーユーザーなのですが、その頃に録画したビデオテープの磁性体がボロボロにはがれ落ちてしまい、すっかり見ることができなくなってしまったとのことでした。そこでその友人も2児の父親、「子供の記録を永遠に残す事ができるメディアは何か?」という話になったのでした。
「永遠に残す」という事に意味があるかどうかは別として、その友人はパワーユーザーです(まあオタクとも言う)。調べる時は徹底しています。まずテープに代表される磁性体系はビデオテープがボロボロになったという苦い経験からアウト。じゃあCD-ROMやDVD等のディスク系は? ディスクは樹脂で出来ています。早い話がプラスチック。不注意で割ることもあるだろうし、ディスク自体も劣化して割れるかもしれない、ということでアウト。ではフラッシュメモリー等の半導体系は? 普段意識することはありませんが、半導体メモリーにはその構造上どうしても寿命というものがあります。
何よりデジタル記録の最大の弱点は、デジタル技術の進歩があまりに早いので十数年、数十年経ったときに、今記録したものを再生するプレイヤーがあるかどうかが分からないということ。ユーザー無視の企業間の規格争い(有名なのはVHSとβ、今ならBlu-RayとHD-DVDですか)で負け組に巻き込まれてはたまらない。
その友人が意外と見直した、というのが8ミリフィルム。簡単に言えば連続写真だからフィルムそのものを見ることができる。映写機もそれほど難しい構造ではないから、フィルムの後ろから光をあててテープを回せば何とか見ることぐらいはできる。ちなみに写真のフィルムは通常ネガですから、そのまま見てもどういう写真なのかはよく分かりません。ただ、フィルムも長期間の保存となれば変色や劣化、破損の可能性は避けられません。
ではいったいデータを長期間記録するものとして何が一番優れているのか? その友人が色々と調べた結果、それは何と「石に彫る」ことだそうです。確かに、古代から残っている石碑、石像はたくさんあります。なるほどなあです。では、子供の記録を「石」に残すのか? 子供の成長とともに、家に石碑や石像が増えて行く。まあ現実的とは言えませんね。 しかし手軽・簡単に石に記録を残す方法が見つかれば、これはかなり面白いですね。

さて、皆さんはお子様の記録を何で残しますか?
posted by 共働きのお父さん at 00:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記_2005年 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月18日

ゴーヤを食べる保育園児

ようやく夏の気配もただよってきた昨今ですが、我が家では夏と言えば「ゴーヤチャンプルー」です。父母とも沖縄出身ではありませんが、沖縄ファンです。あの苦味が大変よろしい「ゴーヤチャンプルー」、うちの子供は好んで食べます。一番最初、口に入れてあげた時は変な顔をしていましたが、その後「もっと欲しい?」と聞くと「うん」と。おお、さすが我が子。両親が美味しそうに食べていたから、自分も食べたくなったのかもしれませんね。今はまだゴーヤチャンプルーだけですが、今年は「ゴーヤのおひたし」にもトライしてみよう。
そのゴーヤ、今でこそスーパーの野菜売り場に普通に並んでいます。「ゴーヤチャンプルーの素」まで売っていますね。ところが数年も前までは沖縄物産専門店等に行かないと入手できず、調味料も手持ちの塩コショウで加減を見て「確かこんな味だったはず」と苦労しました。その頃は自分でゴーヤ栽培もしていました。でも上手に苦く実ってくれないのです。やはり気候が違うからかな? ゴーヤって熟れるとオレンジ色になるんですよ。
ところで「へちま」も食べられるのを皆さんはご存知でしたか? 私個人的にはゴーヤよりへちまの方が好みです。味噌炒め煮にしたとろけるようなへちまは絶品であります。食用品種とかはあるのかな? 私はホームセンターで普通に売っているへちまの種を育てて食べてました。キュウリより一回り大きい程度の若いうちに食べます。育ちすぎたへちまは繊維質だらけのタワシになっちゃいますから。調理法は「へちま、味噌炒め煮」や「ナーベラ(ナーベラー)、ンブシー」で検索してみて下さい。本当にうまいです。お試し下さい。
posted by 共働きのお父さん at 14:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記_2005年 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月17日

転園して行くお友達

保育園のお友達が転園するそうです。家が引越しするというような理由ではなく、近所に新しくできた保育園に移って行くらしい。その保育園は早期教育に力を入れるのが特徴のようで、そこが気に入って転園して行ったようです。やはり熱心な方は熱心ですね。情報収集力もすごい。
一方、そのような保育園が新しくできる事すら知らなかった我が家。あまりにのんびりしすぎかなあ。まあ我が家は我が家のペースでということで。
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2005年06月16日

キャッチボールしないお父さん

これまた会社にて、これまたかなり偉いさんの発言。

「俺なんかまだ子供から『僕はお父さんからキャッチボール教えてもらってない』と言われるぞ」

うれしそうにおっしゃってました。それほど仕事に打ち込んできた、とおっしゃりたいのでしょう。それだけ頑張らないと出世しないぞ、と私に言われているのかもしれません。
でも、私は子供とキャッチボールしたいなあ。今だとキャッチボールよりサッカーかな。しかしそういうことをできる場所が都市部やその近郊では本当に少なくなってしまいましたね。私が子供の頃は、近所にたくさん「原っぱ」があったのに(年がばれそうだな)。
posted by 共働きのお父さん at 13:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記_2005年 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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