2006年02月19日

他の子が悪い

 また小さな子供達が被害者となる痛ましい事件が起こってしまいました。被害者の二人にとっては、不条理以外のなにものでもないできごとであり、また家族の悲しみははかりしれません。謹んで被害者のお二人の冥福をお祈り申し上げます。また容疑者の子供も、これからの人生でその子にとっては不条理な苦労を強いられるかもしれません。こちらも気の毒な話です。
 事件の容疑者は「自分の子供が他の子となじめないのは、他の子が悪い」といった内容の供述をしていると報道されています。どんな理由であれ許されるようなことではありませんが、もしこの内容が本当であれば言語道断です。自分勝手極まりない。
しかしながら我々も同じような考え方をすることがないでしょうか。

 親が悪い、子供が悪い、あの子が悪い、お隣が悪い、上司が悪い、部下が悪い、会社が悪い、学校が悪い、政治が悪い、社会が悪い。私達は自分の置かれた状況を他人や社会のせいにしがちです。共働きで子育てなどしていると、状況から追われる生活となりがちなので、なおさらです。そういう意味で私達も感情的には、この事件の容疑者と紙一重のところにいるのかもしれません。ただ普通は理性や倫理観が上回って、行動に出ることを抑えている。
 自分の置かれた状況を他人や社会のせいにしてしまうと、それを解決するために、「他人や社会の考えや行動を自分の思うように強制」しなければなりません。そんなことは到底不可能です。そのままではいつまでたっても何も解決せず、更に他人や社会への不満が積もり続けます。「他人のせいにする」ことをやめなければ、きっと一生そのままでしょう。
 「自分の考え方が自分の人生を決める」という言葉があります。私はこれは真実であると考えています。だとすれば、今自分の回りにある状況は、自分が希望して得たもののはずです。それが望ましくないのであれば、誰が悪いのでも無い、自分の希望のしかたが間違っていただけです。
まずは今ある状況を「自分が希望したもの」として受け止めて、それに責任を持って感じつくす。もし望ましくない部分があれば、じゃあ自分がどうすれば望ましくなるのか、を考えないと何も変わりません。
 他人や社会のせいにするのは簡単です。しかし、それでは何も解決しないし変わりません。グチやストレスが増えるだけです。今の自分の状態に責任を持たなければ。
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2006年02月05日

親の影響

 私達は親として子供に影響を与えています。その私達も、私達の親達から影響を受けています。
 このような経験はないでしょうか。おじいちゃん、おばあちゃん(私達の親)の前で、子供を叱ったり注意したりすると、
「私があなたに昔言ったことと同じことを言ってるねえ」
のようなことをおじいちゃん、おばあちゃんから言われた経験。
また、パートナーがパートナーの親と同じようなことを言ったりしていたりするのに気付いた経験。多くの場合パートナーは親のそういう点を気に入っていなかったりするのに、自分が同じことをしてしまっている。そういう場面に出会うと、きっと私自身も同じようなことになっているのだろうなあ、と感じます。親とは全く正反対の性格だ、というのもこれまた親からの影響です。親の姿を見て、そのスタイルが気に入らなかったため正反対に走っているのです。
 多くの場合、子供は親と全く同じになるか、全く正反対になる、と言われています。厳格な親に育てられた子供は、同じく厳格になるか放任的になる。ケチケチした親に育てられた子供は、ケチになるか無駄遣いするようになる。
 子供が親の影響を受けるのは当然のことと言えるでしょう。その親を見て育ち、その親から躾けられるのですから。「影響を受けている」などと感じることなく、あたりまえのこととして受け入れていることでしょう。しかし、親から受けた影響が全て良い影響であると言えるでしょうか。
 私達の親達は、そのまた親達から影響を受けています。それぞれの世代はそれぞれの時代の中でベストを尽くしてきたはずです。少なくとも彼ら自身にとってのベストを尽くしてきたはず。ただそのベストが私達にとってのベストとは限りません。時代も変わります。物事のやり方も変わります。また人生の目的が親達と同じであるとは限りません。私達が何も考えずに日々を過ごしていると、その昔の方法に引きずられて時代の流れから外れていってしまうかもしれません。自分の目指すところとは別のところに連れて行かれてしまうかもしれません。
 もちろん昔の方法が全て悪いわけではありません。積極的に見習うべきこともあります。ここで大事なのは自ら積極的に選ぶということだと考えます。自分が親から受けている影響を知り、それが良い影響であるのかそうでないのかを判断して、方向の修正が必要であれば修正する。一時的に私達の親達からは不評をかうかもしれませんが、私達の人生は私達のものです。また私達は子供に影響を与える立場にもあります。自分で考えて自分で決める、悔いの無い選択をしたいものです。
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2006年01月22日

他人の時間、自分の時間

 近頃、「時間」について考えることがよくあります。意識的に考えていたり、無意識のうちに考えていたり。共働きで子育て生活しているというライフスタイルもその一因でしょうが、最近特に「自分の時間を奪われる」ことが多くなってきたようにも思います。それと同時に、ひっくり返して考れば、私が「他人の時間を奪っている」ことにも気付いてきました。
 「時間を奪われる」のは、主に仕事の時に感じます。分かりやすいのが、「長々と待たされる」、「突然キャンセルされる」等でしょうか。会議や打ち合わせ等、時間通りに集まっても、会議を召集した人が来ない。なかなか来ないので電話してみると「ごめん、都合が悪くなった」で散会。いわゆる偉いさんによくあるパターン。
私生活では、勝手に休日のスケジュールを入れられてしまう、といったことでしょうか。確かに勝手に決めてもらった方がありがたいこともあります。ありますが、やはり他人に自分の時間を使われてしまっている感も残ります。
 ここまでは自分ばかりが被害者面していますが、私も同様に他人の時間を奪っています。子供の面倒をみてもらっていますし、遅刻やキャンセルも全くしないなんてことはありません。急なお願いもよくします。
 なんでもかんでも世の中のせいにしてはいけないのですが、やはりスピード重視の風潮を感じます。会社勤めされている方は、特に強く感じられるのではないでしょうか。スピードを重視するから、矢つぎばやに次々と要求が来る。急な飛び込みもやってくる。スケジュールもぎりぎりで動くことになるので、一つがずれこむと、後のスケジュール全てにしわ寄せが行く。取りこぼしも出てくる。結果、他人に迷惑をかけてしまう、ということでしょうか。
 目の前のことに追われ始めると視野が狭くなってしまい、なかなか余所にまで意識が回らなくなりがちです。他人の時間どころか、自分の時間すら尊重できなくなることもあるでしょう。しかし自分の時間を大切にできなければ、他人の時間を大切にもできません。他人の時間を大事にしてあげなければ、自分の時間も大切にはしてもらえないだろうと思います。いきなり完璧な時間管理は難しいとしても、まずは他人の時間や自分の時間をどう使っているかを意識するところから始めてみてはどうでしょうか。
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2006年01月21日

いつもとちょっと違う

 子供がインフルエンザになってしまいました。熱が出て、今は静かに寝ています。どうやら保育園でうつってきたようです。保育園に通う子供の宿命と言ば宿命でしょうか。
 実はこのところ、体調を崩すこともなく、子供は毎日を元気に過ごしていました。予防接種も受けているし、今年も大丈夫かなと。
ところが一昨夜、パートナーが「いつもとちょっと違う」と感じたらしく、熱を測ってみたところ少し熱が有る。次の朝もう一度測ってみると上がっている。病院へ連れて行ってみるとインフルエンザだった、というわけです。対応が早かったおかげか、熱はまだ残っているものの、子供は比較的元気です。パートナーが早く気づいてくれたおかげでしょう。
 この「いつもとちょっと違う」という感覚、みなさんもお持ちになったことはありませんか。こどもの様子に限らず普段の生活や仕事の中で、「なにか風景が違う」、「なにか足りない」、「なにか多い」等感じたことは無いでしょうか。何がどうと言われると分からないのだけれど、何か違う。何かすっきりしない、気持ちの悪い感覚。そして後でよくよく考えてみると、やはりいつもとはなにかが違っていた。
人間の感覚というものは大したものだと思います。自分で意識していないところで理解しているものがあるのでしょう。非常に高度な誤り訂正機能であるなあと感じます。誤り訂正というとデジタルをイメージしますが、こちらはデジタルでは無い、アナログな、それも超アナログな、非常に小さなノイズを感じるようなイメージでしょうか。
 何の根拠もない感覚ではありますが、この「いつもとちょっと違う」という感覚、大事にしたいものだとあらためて感じました。
posted by 共働きのお父さん at 13:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記_2006年 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月15日

左義長

 左義長とは、いわゆる「とんど焼き」のことです。地方によって、「どんど焼き」、「とんと焼き」、「どんと焼き」や「どんどん焼き」といろいろ呼び方があるようです。
 今日は子供と一緒に近所の氏神様まで注連縄を持って行き、お焚き上げをしていただきました。
子「どうして燃やすの? 燃やしたらだめ」
私「燃やして悪いことを祓ってもらうんだよ」
子「ぼくは悪いことしていないよ」
私「おうちにきた悪いことを追い払ってくれるの」
子「誰がしてくれるの?」
私「神様」
子「神様はどこにいてるのかなあ」
と会話になっているような、なってないようなやりとりをしながら、注連縄をお焚き上げさせていただきました。左義長の由来は諸説あるようですが、子供に一番説明しやすそうなものを今回は採用。お参りして、お神酒を授かり、子供はお菓子を授かりました。
 注連縄が焚き上げられるのを見ると、何かすっきりした気分になります。行事を一つやり終えたからでしょうか。あるいは、火を見る、のが良いのかもしれません。
子供の書初めをお焚き上げしていただく日も、そう遠くないのかな。
posted by 共働きのお父さん at 14:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記_2006年 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月09日

公立か私立か?

 パートナーと子供の小学校について少し話をしました。公立か私立か。
私は特に子供に英才教育を施したいとか、一流大学に行って欲しいとは思っていません。一流大学に行くことが幸せにつながるわけでは無い例をたくさん見ていますから。それ故今までこの件について考えることはありませんでした。では何故こういう話をするようになったかというと、自宅の近くにある私立小学校が建つことになったからです。
 それを知ったときは、「ああ建つんだねえ」程度にしか考えていませんでした。ところが、多くの知り合いが「行かせるんでしょ」、「行かせてあげれば良いのに」と言います。同時に「公立は頼りない」という話をたくさんしてくれるので、心配になってきた次第です。
 どこが頼りないというのでしょう? 一番気になったのは「先生が萎縮してしまっている」という話。1年生の新学期に、先生が子供を「〜さん」と呼ぶ。これは別に構わないのですが、子供がふざけて教室内を走り回っていても「〜さん、席に座りましょうね」としか言わない(言えない?)。これでは子供が言うことをきくわけがありません。子供の側も先生をなめてしまい、ますます好き放題するようになる。また学習についても塾に通うことを前提にしているとか。「勉強は塾でしてください」という先生すらいるそうです。口うるさい親達が先生をそうさせてしまっているのかもしれない、とも聞きましたが。
もちろん、全ての学校や先生がそうではないでしょう。私が聞いた話だけをもって公立は頼りないと言い切ることはできません。また「じゃあ、私立はどうか知っているのか?」と聞かれると、まだ知りません。公立にも私立にもそれぞれ良い点もあれば悪い点もあるでしょう。ただ、公立に満足していない人が私の周囲には結構な数いるというのは事実です。そこで、これまでの「公立で十分」という考えから、「私立という道もある」とオプションを増やしてみようと思った次第です。
 はじめにも書きましたが、私は子供に英才教育を施して、一流大学に行かせたいとか考えておりません。本人が行きたいなら自分で努力して行けば良いと考えています。「お受験」にもどちらかというと否定的です。しかしながらその一方で、親が子供に残してあげることのできる最高の財産は教育だとも考えています。お金やモノは使ってしまえば無くなってしまいますが、身に付いた知性は生涯子供のために働いてくれるから。では、その知性を身に付けてもらうために、どの道を選ぶのがより良いのか、遅まきながら考えはじめます。
posted by 共働きのお父さん at 12:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記_2006年 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月08日

トンネル

 子供とサッカー遊びをしました。まだ体格がボールに負けているので、数メートル離れてボールを軽く蹴りあうだけです。
 そのサッカーボールは去年のクリスマスプレゼントで、子供が保育園で作った「サンタさんへのお願い」をみて買ってあげたものです。サッカーなんて全然興味なさそうだったのに、私の知らないうちにいろんなことをおぼえていたのだなあ。
ゴムボールは既にたくさんあるので、同じようなボールが増えても面白くないと、小学生用の公式球、4号にしました。ドイツのワールドカップモデルなのは親の趣味。今の子供の体格にしては少々大きいけれど、重い球を知っておくのも良いだろうと。
 さてサッカー遊びです。「足を横にしてくるぶしあたりで蹴るほうが、うまく蹴れるよ」と教えても、まあまだ分かりません。足の甲でまっすぐ蹴るのであちこちに転がります。「ボールを止めてから蹴ってみたら」と教えると、私と同じように足の裏でボールを軽く踏むように止めようとするので、なかなか危なっかしい。まあボールで遊んでいるのか、ボールに遊ばれているのか分からないけれど、微笑ましい光景ではあります。お父さんはあちこちに転がるボールがよその家に入らないように追いかけるのが大変。
しばらく遊んで子供が慣れてきたころです。少し子供の動きがボールより早くなり、ボールが来る前に両足をついてしまいました。その両足の間をボールがくぐりぬけていきます。見事なトンネル。あの小さな股の間を、あの大きなボールがくぐるものなのだなあ、と妙に感心。何度かトンネルしているのを見ていると、ボールはギリギリくぐりぬけています。これはこれで大したもんだと更に妙な感心をしつつ、何事も油断してはいけないということだなあ、と勝手に教訓めかして納得してしまいました。
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2006年01月07日

ちょっとおどろいたこと

 昨日子供と一緒にあるアニメーションDVDを観ました。観終わってから子供がお昼寝に入り、私一人で今度は音声・字幕を英語にして観ていました。その途中で子供がお昼寝から起きてきて、私の横に座って観ています。そして突然、英語のセリフに合わせて、日本語のセリフを話し始めたのです。まるで同時通訳です。
 一瞬、「おおっ!」と様々な勘違いが心の中を去来しましたが、冷静に考えれば、英語なんて全然教えてないので分かるはずがありません。お昼寝前に観た時に場面と合わせてセリフをおぼえていた、画面を見てその場面のセリフをしゃべっていた、ということのようです。これはこれで大したものだと、子供の記憶力に感心しながら、結局目いっぱい親バカしてました。
 こんなにあっという間に何でも吸収してしまうなら、迂闊なものは見せられない/聞かせられないなあと思いつつ、もしも、おじいちゃんやおばあちゃんがこの光景を見ていたら「天才だ!」と大騒ぎになっていたのだろうなあと、一人笑っておりました。
posted by 共働きのお父さん at 14:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記_2006年 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月06日

はやくしなさい

 このお正月休みに子供から言われてしまいました。
「『はやくしなさい』ばかり言わないで」
どれだけ言っているものか、ちょっと考えてみます。
「はやく着替えなさい」、「はやく食べなさい」、「はやく歯を磨きなさい」、「はやく上着を着なさい」、「はやく靴はきなさい」、「はやく車に乗りなさい」等等等。確かに「はやくしなさい」と、数え切れないほど言ってます。正月休みに限った話ではありません。私の子供はどちらかと言うとのんびりしており、私はせっかち、これも一つの理由だと思いますが、ライフスタイルに一因あるかもしれないとも感じています。
 我が家は共働きです。家庭で過ごす時間が限られています。またパートナーと私、二人とも会社勤めです。会社ではそれぞれ時間に追われた生活をしています。そのためとにかく物事をはやく片付けようという習慣が知らず知らずのうちに染み付いてしまったのかもしれません。親達も「はやくしなさい」と毎日言われ続けているのです。耳から聞かされたり、心で聞かされたりと。
 物事をはやく片付けてしまうことは悪いことばかりではありません。しかしながら、時間に追われて生きるのはあまり楽しいことではありません。私自身、常日頃から「時間を気にせずのんびり暮らしたい」と思っていながら、「はやくしなさい」と子供にも時間に追われる生活を押し付けていることになります。自分の望まない生活パターンを、やむを得ない部分もあるとは言え、子供に強いるとはなんとも矛盾したことであります。
 今は「好きなだけ時間かけていいよ」と言ってあげることはできません。またなんでもかんでも思う存分時間をかける、ばかりでも困ります。とにかく今は、本当に手早くすませる方が良いことと、親の都合ではやくしてほしいことを、ちゃんと区別してあげようと思います。
posted by 共働きのお父さん at 16:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記_2006年 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月01日

初詣のお願いごと

 家族そろって近所の氏神様に二年参りに行ってきました。冷え込みも年末ほどではなく、天気にも恵まれ、良いお参りをさせていただくことができました。
 さて初詣から帰ってから、子供に何をお願いしたのか聞いてみたところ、
「お金がたくさん貯まりますように」
だと。
うーむ、子供の前でそれほどお金の話をしたおぼえは無いのだけれど。お金の本を読んだりはしますが、子供には見せてないし、見たところでそもそもまだ漢字は読めないはず。とは言え、原因の無いところに結果はないはずだから、何か子供にそういうメッセージを与えていたのでしょう。お金を貯めることも大事だけれど、上手に使う方法も覚えてね。
 みんなのお願いごとがかないますように。今年がみなさんにとって素晴らしい一年となりますように。
posted by 共働きのお父さん at 17:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記_2006年 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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