2006年04月09日

がんばらない

 スポーツクラブのインストラクターさんはレッスンの際、何かにつけて「がんばらないで下さいね」と言います。言いたいことはわかるのですが、私は少々違和感があります。何もがんばらなければ、何も変わらないだろうと思うのです。
 会社も同じです。最近はメンタルヘルスについて盛んに言われているためか、「あまりがんばるな」、「無理をするな」と、社内の文書が回覧されてきたりします。まあ、会社のほうは現場の上司がどんな人かで、部門の仕事もやり方が決まることが多く、回覧文書ぐらいではあまり効力もないのですが。とにかく「がんばらない」ことが奨励されている事が、最近増えているように感じます。
 趣味でも仕事でも、どんなことでも同じ事だと思うのですが、がんばるときにはがんばらないと、何も成長しないと思うのです。ただ何でもかんでも、むやみやたらと、がんばるのはあまりよろしく無いし、手を抜くところは抜いておかないと、人によってはまいってしまったりするでしょう。そういう私自身まいってしまったことがあります。そこから何とか抜け出した体験談もいつかは書きたいと思っています。
がんばり続けても何とも無く、それが好き人はそのままで良いと思います。
 それでは、「がんばらない」をどう解釈しましょうか。私はこのように解釈しています。
「がんばっても、がんばらなくても、どちらでもいいのだけれど、これが(何か目標が)できるようになれば楽しいだろうな」
どうでしょうか。私自身はこの考え方が結構気に入ってます。気合は抜けますが、肩の力も抜けます。やる気にあふれる方からは「何を軟弱なことを」と一笑に付されるでしょうけれどもね。
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2006年04月02日

おっさんヨガ

 私が通う、と言うか子供が通うスイミングスクール、に併設のスポーツクラブのレッスン時間割が4月から変わりました。
 これまではダンベル体操のクラスを受けてからエアロビクスのクラスだったのが、この4月からダンベル体操の時間が「パワーヨガ」に変更。私は子供のスイミングの時間にトレーニングとなるので、好きなクラスを選ぶ余地はありません。その時間に開講されるクラスを受けることになります。
 そもそも私は身体がとても硬い。前屈して手が地面にやっとつくかどうかという程度。「だめだこりゃ」とマシントレーニングに行こうとすると、スタッフさんから一言、「全然大丈夫です。誰でもできます」。
 まあスポーツクラブのスタッフさんは大抵の場合「大丈夫」と言うものなのですが、とにかく経験だけはしてみようかと参加してみました。日曜日の午前中という時間帯と4月からの新レッスンということで、参加者も少なく、恥かいても大したこと無いなと。
 参加者は男性2名、女性5名。インストラクターさんは、しきりに「無理しないで」、「頑張らないで」と言います。参加者の年齢層が高かったせいなのか、はたまた頑張るとひどい目に合うことになるからなのか。
 一番最初のレッスンで皆初心者だったため、呼吸法と基本動作の練習だけでした。呼吸法は、私は座禅の経験が少しあるのですが、その呼吸法によく似ておりすぐに慣れました。基本動作はやはり身体が硬いとつらい姿勢もあります。足を曲げてもいいとインストラクターさんは言いますが、それでもまあ厳しい姿勢であります。とは言え厳しくないなら、やる意味無いのだけれどもね。また「パワーヨガ」というだけあって筋力を使うところもあります。今まで使っていなかった箇所を使うせいか、静かな動きなのに筋肉痛もあります。
 今日一日経験すればそれでいいかと思っていましたが、結構面白いのでしばらく続けてみたいと思います。この硬い体がどこまで柔らかくなるかな。
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2006年03月26日

仕事をいいわけにするな

 「仕事をいいわけにするな」
これまたごもっともな言葉で、やはり耳の痛い言葉であります。でもしたいですよね。どうしようもない時というのもある。
 こちらもバランス感覚なのだと思います。仕事と家庭と自分自身のプライベートと、どの部分で折り合いをつけるかということなのでしょう。
 気を付けないといけないなと思うのは、そもそも仕事に関わっている時間が一番多いということ。平日は通勤時間も含めると一日の半分以上を仕事で過ごしている方も多いでしょう。そこまでいかなくても、家族との時間や自分自身の時間と比べて、仕事に費やす時間が圧倒的という方は多いのではないでしょうか。それだけでもうすでに仕事偏重になっている。仕事中心に物事を考えてしまいがちになります。「私は家庭を大事にしたい」と思っていても、ついつい考え方が仕事中心になってしまうことがありませんか。
 一般的に、仕事をいいわけにすると、「仕事ならしかたない」と許してもらえる風潮があります。それに甘えてしまうのは、ある程度は仕方のないことなのかもしれません。しかしそれも度を過ぎると必ずどこかに歪を生じます。最悪の場合壊れてしまうかもしれません。
 もう一つ気を付けなきゃいけないと思うのが、共働きの場合、両親共に仕事中心になってしまうと、子供が置いて行かれてしまうということ。これは子供にとって悲劇です。いや親にとっても悲劇です。子供が一番かわいい時に、親の意識がよそに向いてしまっているのだから。子供や家族との関わりは、自分が考えている以上に積極的にとらないと十分ではないのだろうな、と感じます。
 自分の中の優先順位をしっかり決めて物事を判断しないと、知らず知らずのうちに、自分の本意ではない判断になってしまいます。その結果、自分も家族も誰も幸せでない、楽しくない、なんてことになったらそれこそ悲劇ですね。
 かく言う私はまだまだです。休日は「疲れているから寝かせてくれ」が多い。これもまた仕事をいいわけにしているのですね。でも本当に疲れているんだよ。どうすればいいのかな。
posted by 共働きのお父さん at 11:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記_2006年 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月25日

家庭に効率を持ちこむな

 「家庭に効率を持ちこむな」
私にとって、耳の痛い言葉であります。もともとこのブログの元となったウェブサイトは、「共働き家庭が子育て生活をするのに今の現実はあまりに厳しい。とにかく忙しすぎる。せめて家事や仕事の一つ一つを、できるだけ効率をあげて片付けてしまおう」という思いをきっかけに始めたものだからです。
 家庭に効率を持ち込むなとおっしゃる方の思いも分かります。効率ばかりでは味気ない、せわしない、人間味を感じない等の感覚をお持ちになっているのではないかと想像します。また一見無駄に見えるようなことにも意味がある、人生に「遊び」の部分を持つことも大事なのだ、ということも分かっているつもりであります。特に子供やパートナーとの関わり方を効率最優先にしてしまうと、きっととてもつまらないものになってしまうでしょう。家族がバラバラになってしまうかもしれません。
 とは言え、共働き家庭では自由になる時間が不足しているのも確かなことであると思います。だから何でもかんでも自由気ままにすれば良いというのも難しいだろうと想像します(できる方、その方法教えてください)。
要はバランス感覚なのだと思います。効率一辺倒と効率無視のどちらも極端に走ってしまうのは良ろしくない。効率を上げるべきところは徹底的に上げて、他に大事なことがあるときはそれを大事にする。

ビジネスの世界ではポジティブ思考が歓迎される風潮がありますが、ポジティブばかりではいずれ力尽きるそうです。やはりネガティブな部分も無視せずに受け入れる。両方の思考をバランス良く受け入れることが大事だという意見もあります。

 しかしバランス感覚が適当でないとそもそもバランスが取れない、という意見もあります。ではバランス感覚をつけるにはどうすれば良いのでしょうか。私は感性を磨くことであろうと思います。これは知識で手に入れることのできるものではない。感じることによってしか身につかないものではないかと。周りの人や自分がどう感じているか、楽しいのか、悲しいのか、のびのびしているのか、息苦しいのか、豊かな気分であるのか、貧困意識に囚われているのか、そういうことを感じながら感覚を磨いていくしかないのだろうなあと。

 みなさんはどうお考えになりますか?
posted by 共働きのお父さん at 14:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記_2006年 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月12日

「する」こと、「できる」こと

 私達は何かを「する」時に、それが「できる」ことを期待しています。あたりまえです。出来ないことを期待して何かをする人はいません。しかし、その期待があまりに高くなってはいないでしょうか。できることを期待するのではなく、「できないといけない」という思いを持っていないでしょうか。
 目標を高く持つのは良いと思うのですが、あまりに高すぎると目標に押しつぶされてしまいます。特に仕事などで、「できなきゃいけない」と考えるあまり萎縮してしまい、結局手つかずのまま放置してしまった、なんてことはないでしょうか。
 私が誰かに新しい仕事をお願いするとき、「できる」ことはあまり期待していません。しかし「する」ことは期待しています。分からないなら質問してくれればいいから、とにかくして欲しい。失敗しながらでも「する」を続ければ自然に「できる」ようになるから。最初はトンチンカンでもいいから、とにかく手をつけて欲しいわけです。
この感覚は、言われた仕事をしているだけの時は分かりませんでした。「言われた仕事は完璧にこなさなければいけない」という想いを、実際私も持っていたし、できないときは途方にくれて時間ばかりが過ぎることも多かったです。自分が仕事をお願いするようになって、ようやく気がつきました。完璧に仕事をしてもらおうとするなら、お願いする方も完璧にお願いしないといけません。そんなことはまず無理です。とにかく分かる範囲で動いてもらって、分からなくなったら聞きに来て、というパターンになりがちなのです。十分に説明する時間を取れないこともありますし、相手のスキルをつかみ切れない場合もありますから。
 仕事にはいろいろな種類があるので、一概に言い切るのは難しいのかもしれませんが、「する」ことと「できる」ことを分けて考えてみてはどうでしょう。「できる」かどうかは分からないけど、とりあえず「する」。やってみる。分からなくなったら、分かってそうな人に聞けば良い。そう考えるだけでかなり気分は楽になり、自分一人で行き詰ってしまうこともなくなると思います。

 同時に、親としての私達は、子供が何を「する」時に、「できる」ことを期待します。こちらも同じことではないかなと思います。期待はしても良い。でも期待しすぎるのはどうでしょう。「する」ことと「できる」ことを分けて考えてあげたいなと感じています。
posted by 共働きのお父さん at 14:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記_2006年 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月05日

子供が本を読んでくれました

 先ほど子供が本を読んでくれました。
 これまでは文章を読んでもひらがなを一文字ずつ読んでいるだけだったので、聞いてもよく分からないことが多かったのだけれど、今日は文節ごとにまとめて読める。「は」の読み方も「ha」と「wa」をちゃんと区別できている。感情も込められており、ストーリーがちゃんと分かる読み方ができるようになっていました。
 成長したなあと感動する一方で、感動できてしまう今の単身赴任生活を寂しくも感じた今日の出来事でした。
posted by 共働きのお父さん at 16:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記_2006年 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

身体からのメッセージ

 このところ会社の仕事で忙しくしており、体力が落ちているなあと感じてはいたのだけれど、ついにインフルエンザにかかってしまいました。
 業務スケジュールと年度末があいまって、また単身赴任という時間的な気楽さから朝早く出て、夜遅く帰る日々があたりまえ。生活のリズムも普段からは全く狂ってしまい、疲れがたまり、とれていない自覚はありました。しかし疲労回復をうたい文句にするサプリメントでなんとかごまかせていたつもりでした。実際疲労感は軽減していたのです。ローヤルゼリー、高麗人参、黒酢、養命酒など、無節操に飲んでいましたが、体の中にズシンと感じる疲労感は無くなっていた。「意外と効くものだなあ」と感心していたのですが、やはり体力・抵抗力は落ちていたようです。
 インフルエンザにかかったのは金曜日の昼頃。その日の午前中は建築中の建物の10階まで階段で登っていき、現場を確認して回ったほどだったのですが、昼食時からおかしくなってきました。まず食べ物の味がおかしい。もともと美味しさを期待する食堂ではありませんが、味がまったく違う。疲れているのかなと、昼食後自席に戻り休息していると、急に寒気に襲われ、顔が火照ってきました。その間ほんの5分〜10分程度。同僚にうながされ会社の医務室に向かう時には、もうまともに歩けない。なんとか医務室にたどり着いて検温すると39度。早速インフルエンザの検査をされ、そのままベッドに寝かされました。結局その日は午後の半日を医務室のベッドで過ごすことに。タミフルを処方されて帰宅。十分な薬を備えて置くことが難しい会社の医務室でタミフルをもらえるとは幸運でした。
 何日動けなくなるかと覚悟していたものの、翌日には微熱程度に。無理すれば出勤できそうです(しませんでしたが)。タミフルは効くと聞いていましたが、これほど効くとは驚きです。とはいえ足元はふらつき気味で、食欲もいつもほどはなく、本調子は言えない状態です。せっかくの週末ですが、休息日とさせてもらっています。週末はお父さんと遊ぼうと、いろいろ考えていた子供や、余計な用事の増えたパートナーには申し訳ないことになってしまいました。
 さて、この忙しい時期にインフルエンザにかかってしまいました。仕事に厳しい人からは「気合が足りない」、「健康管理がなってない」と叱られてしまうかもしれません。ただ私はこれは「少し動きすぎですよ」という身体からのメッセージかもしれないなあと思っています。「疲れがとれないなあ」も身体からのメッセージだったのに、私がそれをきちんと受け取らなかったため状態が悪化してしまった。このペースで動き続けると、もっと悪いことになるよと。かと言って、今ある仕事量がすぐに変わるわけでもないので、やり方を変えなさい、ということなのかなと感じています。実は今の仕事に加えて、新しいプロジェクトに2足目のワラジを履いて参画しなさいという話をもらっています。今考えると、それも今のやり方を変える時ですよ、というメッセージかもしれないなあと。
 ところで自分がかかっても、発熱するまでは分からなかったインフルエンザ。私のパートナーは子供のインフルエンザを「いつもとちょっと違う(2006/1/21)」でよく見抜けたものだと、あらためて感心しました。やはり母の愛は海よりも深い。
posted by 共働きのお父さん at 11:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記_2006年 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月19日

他の子が悪い

 また小さな子供達が被害者となる痛ましい事件が起こってしまいました。被害者の二人にとっては、不条理以外のなにものでもないできごとであり、また家族の悲しみははかりしれません。謹んで被害者のお二人の冥福をお祈り申し上げます。また容疑者の子供も、これからの人生でその子にとっては不条理な苦労を強いられるかもしれません。こちらも気の毒な話です。
 事件の容疑者は「自分の子供が他の子となじめないのは、他の子が悪い」といった内容の供述をしていると報道されています。どんな理由であれ許されるようなことではありませんが、もしこの内容が本当であれば言語道断です。自分勝手極まりない。
しかしながら我々も同じような考え方をすることがないでしょうか。

 親が悪い、子供が悪い、あの子が悪い、お隣が悪い、上司が悪い、部下が悪い、会社が悪い、学校が悪い、政治が悪い、社会が悪い。私達は自分の置かれた状況を他人や社会のせいにしがちです。共働きで子育てなどしていると、状況から追われる生活となりがちなので、なおさらです。そういう意味で私達も感情的には、この事件の容疑者と紙一重のところにいるのかもしれません。ただ普通は理性や倫理観が上回って、行動に出ることを抑えている。
 自分の置かれた状況を他人や社会のせいにしてしまうと、それを解決するために、「他人や社会の考えや行動を自分の思うように強制」しなければなりません。そんなことは到底不可能です。そのままではいつまでたっても何も解決せず、更に他人や社会への不満が積もり続けます。「他人のせいにする」ことをやめなければ、きっと一生そのままでしょう。
 「自分の考え方が自分の人生を決める」という言葉があります。私はこれは真実であると考えています。だとすれば、今自分の回りにある状況は、自分が希望して得たもののはずです。それが望ましくないのであれば、誰が悪いのでも無い、自分の希望のしかたが間違っていただけです。
まずは今ある状況を「自分が希望したもの」として受け止めて、それに責任を持って感じつくす。もし望ましくない部分があれば、じゃあ自分がどうすれば望ましくなるのか、を考えないと何も変わりません。
 他人や社会のせいにするのは簡単です。しかし、それでは何も解決しないし変わりません。グチやストレスが増えるだけです。今の自分の状態に責任を持たなければ。
posted by 共働きのお父さん at 13:35| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記_2006年 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月05日

親の影響

 私達は親として子供に影響を与えています。その私達も、私達の親達から影響を受けています。
 このような経験はないでしょうか。おじいちゃん、おばあちゃん(私達の親)の前で、子供を叱ったり注意したりすると、
「私があなたに昔言ったことと同じことを言ってるねえ」
のようなことをおじいちゃん、おばあちゃんから言われた経験。
また、パートナーがパートナーの親と同じようなことを言ったりしていたりするのに気付いた経験。多くの場合パートナーは親のそういう点を気に入っていなかったりするのに、自分が同じことをしてしまっている。そういう場面に出会うと、きっと私自身も同じようなことになっているのだろうなあ、と感じます。親とは全く正反対の性格だ、というのもこれまた親からの影響です。親の姿を見て、そのスタイルが気に入らなかったため正反対に走っているのです。
 多くの場合、子供は親と全く同じになるか、全く正反対になる、と言われています。厳格な親に育てられた子供は、同じく厳格になるか放任的になる。ケチケチした親に育てられた子供は、ケチになるか無駄遣いするようになる。
 子供が親の影響を受けるのは当然のことと言えるでしょう。その親を見て育ち、その親から躾けられるのですから。「影響を受けている」などと感じることなく、あたりまえのこととして受け入れていることでしょう。しかし、親から受けた影響が全て良い影響であると言えるでしょうか。
 私達の親達は、そのまた親達から影響を受けています。それぞれの世代はそれぞれの時代の中でベストを尽くしてきたはずです。少なくとも彼ら自身にとってのベストを尽くしてきたはず。ただそのベストが私達にとってのベストとは限りません。時代も変わります。物事のやり方も変わります。また人生の目的が親達と同じであるとは限りません。私達が何も考えずに日々を過ごしていると、その昔の方法に引きずられて時代の流れから外れていってしまうかもしれません。自分の目指すところとは別のところに連れて行かれてしまうかもしれません。
 もちろん昔の方法が全て悪いわけではありません。積極的に見習うべきこともあります。ここで大事なのは自ら積極的に選ぶということだと考えます。自分が親から受けている影響を知り、それが良い影響であるのかそうでないのかを判断して、方向の修正が必要であれば修正する。一時的に私達の親達からは不評をかうかもしれませんが、私達の人生は私達のものです。また私達は子供に影響を与える立場にもあります。自分で考えて自分で決める、悔いの無い選択をしたいものです。
posted by 共働きのお父さん at 13:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記_2006年 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月22日

他人の時間、自分の時間

 近頃、「時間」について考えることがよくあります。意識的に考えていたり、無意識のうちに考えていたり。共働きで子育て生活しているというライフスタイルもその一因でしょうが、最近特に「自分の時間を奪われる」ことが多くなってきたようにも思います。それと同時に、ひっくり返して考れば、私が「他人の時間を奪っている」ことにも気付いてきました。
 「時間を奪われる」のは、主に仕事の時に感じます。分かりやすいのが、「長々と待たされる」、「突然キャンセルされる」等でしょうか。会議や打ち合わせ等、時間通りに集まっても、会議を召集した人が来ない。なかなか来ないので電話してみると「ごめん、都合が悪くなった」で散会。いわゆる偉いさんによくあるパターン。
私生活では、勝手に休日のスケジュールを入れられてしまう、といったことでしょうか。確かに勝手に決めてもらった方がありがたいこともあります。ありますが、やはり他人に自分の時間を使われてしまっている感も残ります。
 ここまでは自分ばかりが被害者面していますが、私も同様に他人の時間を奪っています。子供の面倒をみてもらっていますし、遅刻やキャンセルも全くしないなんてことはありません。急なお願いもよくします。
 なんでもかんでも世の中のせいにしてはいけないのですが、やはりスピード重視の風潮を感じます。会社勤めされている方は、特に強く感じられるのではないでしょうか。スピードを重視するから、矢つぎばやに次々と要求が来る。急な飛び込みもやってくる。スケジュールもぎりぎりで動くことになるので、一つがずれこむと、後のスケジュール全てにしわ寄せが行く。取りこぼしも出てくる。結果、他人に迷惑をかけてしまう、ということでしょうか。
 目の前のことに追われ始めると視野が狭くなってしまい、なかなか余所にまで意識が回らなくなりがちです。他人の時間どころか、自分の時間すら尊重できなくなることもあるでしょう。しかし自分の時間を大切にできなければ、他人の時間を大切にもできません。他人の時間を大事にしてあげなければ、自分の時間も大切にはしてもらえないだろうと思います。いきなり完璧な時間管理は難しいとしても、まずは他人の時間や自分の時間をどう使っているかを意識するところから始めてみてはどうでしょうか。
posted by 共働きのお父さん at 14:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記_2006年 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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